ちわわとカメリアとサクラサク毎日

ママイキ4回目 ~ 区別

今日はママイキ(ママのためのコーチング講座)の4回目。テーマは「区別」。全5回のママイキの中で一番衝撃が大きいとのことで、かなり楽しみに講座に向かった。

日常の色んな出来事を区別するという観点から見ると、見方が変わるというものだ。
以下、日常で混同してしまいがちな(区別を付けにくい)事柄について学んだ。

【自分 vs 子供(自分じゃない人)】
とかく母親は子供と一体化してしまいがち(子供が乳児くらいの小さな時はそれでいいらしい)。または「子供」を「パートナー」や「お姑さん」などと置き換えてもいい。ようは自分と他人(自分じゃない人)との区別をつけましょうということだ。
例えば子供が何か問題に巻き込まれた(または親からみて巻き込まれているように見える)状況があったときに、子供の問題なのに、母親が自分の問題のように考えてしまいがちだが、それはだめ。
問題やトラブルの当事者(誰の問題か)を明確にして、子供の問題なら、子供が解決しなくてはいけない。また、子供(当事者)がどう思っている(感じているか)が大切。母親からみたら「いじめられてるのでは?不公平な目にあっているのでは?」と思える状況(例えば友達より重い部活の荷物を持たされている)も、本人がなんとも思っていなかったらそれは問題ないのだということ。
だから「打たれ強い子」に育ててあげることがいいよね、とおっしゃっていた。また区別ができていない母親は、泥沼にはまって溺れかけている子供を助けようとして一緒に溺れてしまう、と。(イメージね) 泥沼に入ってもどうか片足は地面についていられるようになろうねとひろっしゅコーチ。区別が出来ていないとモンスターマザーになる危険も秘めている。昔は子供と一体化するのは母親だったんだって。それが最近は父親にも増えてきているそう。父親が学校にクレームの電話をかけてきたりするんだって。そういう親が2人揃うとモンスターペアレンツになるんだよね。
また、相手が問題を持っている場合、まず傾聴すること。アドバイスは受け取る相手が欲している時じゃないと意味がない。うーん、確かに。聞いてほしかっただけなのに…ってこと自分もあるよね。

この自分と子供(他人)の区別が、今回私の心に一番響いた。
理由その①:私の母親は、私と自分の区別がつかないで私を育てていた部分があったんだなと感じたこと。それがいい悪いの話はべつにしてね。
理由その②:思春期や大学生くらいの頃って、仲のいい友達と自分の区別ができていなかったなと思った。仲のいい友達の問題や悲しみを自分のもののように感じて悲しんだり怒ったり解決策を考えたり、一緒になって行動していた。こういう同調(同化)って多分思春期の子供の特徴なのかもしれないね。

【サポート vs ヘルプ】
相手にその能力がないので(出来ないので)全部かわりにやってあげる、というのがヘルプ。だから介護の方はヘルパーさんと言う。サポートは、「あなたにはその能力があるから自分でやるんだよ、でも困っているときは手伝ってあげるよ」というスタンスだということ。10歳くらいまでにヘルプからサポートに徐々に完全に移行いていくのが理想的だとのこと。

【愛情 vs エゴ】
【甘えさせる vs 甘やかす】

子供は「どれだけ愛されたかではなく、どれだけ(気持ちが)満たされたかが大切」
子供を愛していない親は(基本的には)いない、でも愛情はとても自分本位なものだからときに親の「エゴ」になってしまう。愛情とエゴは紙一重なものなのだ。
子供の要求をその通りきくのは甘やかしにつながる。分かりやすい甘やかしの例はものでつるとかご褒美など。大きくなっても甘えさせてあげることが大切。愛情がエゴにならないためには、子供に愛情がどのように伝わっているかと常に気にかけようと思うことが大切。

ここでフリードリヒ2世の実験の話が紹介された。
ローマ帝国皇帝のフリードリヒ2世は、ある時、「どうして子どもは言葉を話せるようになるのか?」と疑問を抱き、ある実験をする。それは全国から生まれたばかりの孤児を集め、ベビーシッターにある条件をつけて世話をさせた。「赤ちゃんに声を掛けてはいけない」「笑顔を見せてはいけない(無表情で接する)」「赤ちゃんが声を発しても答えてはいけない」、その代り、ミルクはちゃんと与える。つまり、何があろうと喜怒哀楽を見せず、ノーリアクションで接した場合、人間はちゃんとラテン語(母国語)をしゃべれるようになるのか、それとも別の言葉をしゃべるのか?を実験したのだ。
しかし結果は…「赤ちゃん達は言葉を話せるようになる前に皆死んだ」という衝撃的なものだったという。人間が生きて育っていくのに、愛情がとても大切ということなんだね。

【怒る vs 叱る】
辞書をひくと、以下の意味になっている。
叱る:目下の者の言動のよくない点などを指摘して、強くとがめる。
怒る:不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。腹を立てる。いかる。
親は子供を「叱る」(不適切な言動を注意する)べきで感情にまかせて「怒る」ことのないようにすべき。でも怒ってしまったときは、以下のように対処しょう。

①まず謝る … 「お母さん、さっきは怒ってごめんね」
②母の感情の成仏 … 「お母さん、これこれこういうわけで機嫌が悪かったんだ」
③不適切な言動を具体的に謝る … 「なのに、あんたみたいな子産んだ覚えないなんて言ってごめんね。産みました!」
④子供の感情の成仏 … 「あんなこと言われてXXちゃんも嫌な思いしちゃったね。悲しかったよね」

【違い vs 差】
縦で比較しているのが、横に並列にしているのが違い。苦しい時は違いを差にしえしまっているのではないか?とのこと。料理の上手い栗原はるみと料理の下手な自分を比較して差を感じる必要はない。料理の下手な自分がいるから栗原さんの本が売れるんだと、それぞれの役割だと思いましょうとのこと。

「ウサギとカメ」の話が出た。ウサギは結局カメ(競争相手)しか見ていなかったために、最初に大量にリードしたために油断して居眠りして結局負けてしまった。カメはウサギではなくゴールをみていたので、自分のペースでゴールを目指した。「人と比較して持った自信はもろい。自分がどういうゴールを目指していうのかをみよう」とひろっしゅコーチ。ほんと、そうだね。人はついつい他人と比較してしまいがちだけど、自分の軸をしっかり持ってゴールを見定めていかないとね。

【事実 vs 憶測】
友達に挨拶したけど無視された時に「どうして挨拶返してくれないのか。何か怒らせることをしてしまったか…」などと憶測したが、友達に確認したところその日はコンタクトを入れていなかったので気がつかなかっただけだった、というエピソードが紹介された。
事実はひとつなので、憶測で悩んだら、①事実を確認する か ②憶測しない(悩んでも答えが出ないなら悩むだけムダ) が対処法とのこと。
「悩むのはヒマだから。くだらないことで悩む時間があったら畑を耕そう(建設的なことをしよう)」

【気遣い vs 遠慮】
最近、気遣いと言う名の遠慮が多いんじゃない?とひろっしゅコーチ。最近便利な世の中になった分、人と関わらない、人になるべく迷惑をかけないようにするようになったと。
YesかNoは相手が決めること。「No」を恐れないで人と話をしよう。人に頼ってみよう。頼れる人になろう。(それで助けてもらえたら、ありがおうと言い、今度友達が困っているときに助けてあげよう、ということだろう)
「伝えたいことがあったら、絶対に伝えよう。遠慮が出会いを逃すのよ」と。そして、ここで徳川将軍家の剣術指南役だった柳生家の家訓が紹介された。

柳生家の家訓
 小才は、縁に出会って縁に気づかず
 中才は、縁に気づいて縁を活かさず
 大才は、袖触れ合う他生の縁もこれを活かす


注:「才」とは、学問。智慧。能力。
つまり、「小才(頭を使っていない人)はどんなにすばらしい縁(チャンス)に巡り合っても、そのことに気づかないし、中才(頭の使い方が並みの人)は、たとえそうしたチャンスに気づいたとしても、それを十分に活かすことができない。しかし、大才(頭を十分使っている人)は、どんなに小さなチャンスでも、それを見逃さず、最大限に活かしていくことができる。」という意味。
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